自分の人生観で見た時、これを何と読みたいか?
これまで数え切れない人に質問してきた。
生死、人生、一生、輪廻、転生、今、光、あうん、旅、ライフ、生きる、墓、堺、、、、
人それぞれに、違っていいわけだが
私はこれに「いきたひ」とフリガナをふっている。
「生」という漢字の下にカタカナで「タ」と「ヒ」
生タヒ「いきたひ」
フリガナは「いきたひ」で「いきたい」と読む。
生と死は切り離すことが出来ない。
生まれたということは、その瞬間から死に向かっているということ。
「生」の5角目と「死」の1角目は繋がっている。
何の為に生まれてきたか は 何の為に死ぬのかを知らずに
答えは見出せまい。
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~いきたい~
生きたい 自分らしく生きたい
行きたい 成長して行きたい
活きたい 自分を活かしたい
逝きたい 最期まで尊厳を持って逝きたい
往きたい 輪廻の世界を往復したい
生きた日 生きた日々に蓄えた生命の灯火
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生まれてくる為には 数え切れない人の命が必要だったし、誰一人欠けても自分は生まれてこれなかった。
先に死んだ方々があっての自分
そして我々は生きていく為に、日々命を頂戴している。
水と塩以外は皆、命があるという。
「死」の上に成り立つ「生」
我々の「生」を支えているのは「死」とも言えないか。
日蓮上人が言った。
「されば先ずは臨終のことを習うて後に、他事を学ぶべし」
いくら勉強して知識をつけても、臨終の意味することを知らずして何の意味もないと。
どういう終わり方をしたいか、人生の完結シーンを描くことは
「今」を生きることに繋がるはずだ。
先ずは予告編をご覧頂けたら幸いです。
長谷川裕子監督 「いきたひ」で検索頂けたら、YouTubeで予告編をご覧いただけます。