2014年10月6日月曜日

映画監督として

この造語に何とフリガナを付けたいか?

自分の人生観で見た時、これを何と読みたいか?

これまで数え切れない人に質問してきた。

生死、人生、一生、輪廻、転生、今、光、あうん、旅、ライフ、生きる、墓、堺、、、、

人それぞれに、違っていいわけだが

私はこれに「いきたひ」とフリガナをふっている。

「生」という漢字の下にカタカナで「タ」と「ヒ」

生タヒ「いきたひ」

フリガナは「いきたひ」で「いきたい」と読む。

生と死は切り離すことが出来ない。

生まれたということは、その瞬間から死に向かっているということ。

「生」の5角目と「死」の1角目は繋がっている。

何の為に生まれてきたか は 何の為に死ぬのかを知らずに

答えは見出せまい。

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~いきたい~
生きたい  自分らしく生きたい
行きたい  成長して行きたい
活きたい  自分を活かしたい
逝きたい  最期まで尊厳を持って逝きたい
往きたい  輪廻の世界を往復したい
生きた日  生きた日々に蓄えた生命の灯火

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生まれてくる為には 数え切れない人の命が必要だったし、誰一人欠けても自分は生まれてこれなかった。

先に死んだ方々があっての自分

そして我々は生きていく為に、日々命を頂戴している。

水と塩以外は皆、命があるという。

「死」の上に成り立つ「生」

我々の「生」を支えているのは「死」とも言えないか。

日蓮上人が言った。

「されば先ずは臨終のことを習うて後に、他事を学ぶべし」

いくら勉強して知識をつけても、臨終の意味することを知らずして何の意味もないと。

どういう終わり方をしたいか、人生の完結シーンを描くことは

「今」を生きることに繋がるはずだ。

先ずは予告編をご覧頂けたら幸いです。

長谷川裕子監督 「いきたひ」で検索頂けたら、YouTubeで予告編をご覧いただけます。