2012年8月19日日曜日

No17・最後の日の如く

昨日のブログで紹介した、夕焼雲の不思議を

フェイスブックに乗せると、反応があり、

美しいものを美しいと感じる心は同じなんだなぁ~と嬉しく思っています。

雲の中に虹色が見えたのは初めての事でしたので、

ついついシェアしたくなってしまいました。


















雲はどんどん流れて行ってしまうので、「今」を留めておくことは出来ない。

見上げた空に次々と描き変えられて行く、雲の様を見つめながら

“今日が人生最初の日で 最後の日かのように生きたい” と

そんな風に感じました。

生きている「今」、 生かされている「今」 に心を込めたいとー。
















私の大切な友人Sさんの御主人が一昨日、肉体を離れました。

3年前、私の主人が余命半年と知って、必死で私を支えて下さったSさんです。

実はその時、Sさんのご主人も集中治療室で危険な状態だったのです。

同じ国際医療センターで治療していましたので、

運転出来ない私の為に、運んで下さいました。

主人は半年も持たず、3か月で逝ってしまいましたが

“長谷川さんのご主人の方がよっぽど若いのに、先に逝っちゃったね・・”と

Sさんは呟いていました。

主人がこの世を去ってから2年半の月日が経ち

悲しみも癒え、今は寂しさよりも、

幸せや喜びにフォーカスして生きられるようになりましたが、

Sさんは、この期間ずっと、看病してこられた。

治ると信じたいけれど、治るかどうかわからない・・・

そんな中で、くじけそうになることもあったでしょう。

でも、会うといつも優しい笑顔で接して下さった。

3年も傍で尽くすことが出来たと言えば、

それはそれで、かけがえのない日々だったかも知れませんが、

私には3か月の看病が精いっぱいでした。

人には、それぞれの器によって与えられる試練が異なるのですね。

どんどん変わって行く雲の姿を見ながら、

人生も流れていくんだなぁ~と思いました。


人は夜を迎え、眠りにつきます。

肉体は機能しているけれど、

思考が止まって、死んでいるようなもの。

毎夜、我々は死んで

毎朝、蘇えるんですね。

朝を迎えられるって奇跡的な事なのに、

“あぁ~もっと眠っていたかったのに~”等と

不平を漏らしては、感謝を忘れてしまう。

絶え間なく捧げられる青空キャンパスの雲の作品

神様は私達が感動し続けられるように

見上げれば、いつでもそこに作品を用意して下さっている。

『感動習慣』という言葉が降りて来ました。

昨日のブログでも書きましたが、

皆さん、空を見上げてみて下さい。

そして両肘を内側にして胸を開いて

深~い呼吸を3回

吸って~

吸った長さの3倍くらいの時間をかけて

吐いて~・・・

もう一度、吸って~

もう、そろそろ手放してしまってもいいかなぁ~

執着心をそこに捨ててしまおう

自由になろう

「私は私」

雲の中にはいろんなヒントが隠されているものですね!