2012年6月25日月曜日

No9・あとがき

本のあとがきを考えていて自分の健康観を再度見つめ直してみました。
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「健康」って どういう状態だと思いますか?

体調が良くても、心の状態が悪かったら真の健康とは言えませんよね?

例えば転んで擦りむいたり、血を流したり、骨を折ってしまったり・・・

風邪を引いて扁桃腺が晴れたり、熱が出たり、席が止まらなかったり

痛みや不調を取り除く為の方法を選択しますよね。

心だって怪我をしたり、血を流したり、病気になったりするものではありませんか?

人の言葉に傷ついたり、出来事に落ち込んだり、怒りでいっぱいになったり・・・

そんな時、どのように傷の手当をしますか?

放っておいてしこりになってはいないでしょうか?

傷ついたはずなのに、傷つかないふりをして、忘れようと抵抗するとか。

でも、

心にダメージを受けた時は、捉え方を変える事で長く引きずらずに済んだり

それほど深く傷つかずに済んだりします。

自分が自分を鍛える為に、自分で書いたシナリオなんだ と

受け止めるようにすると、

目の前に立ちふさがる壁に向かって

“私も、なかなかやるなぁ~”と、客観的に見れたりするものです。

体は鍛えないと筋力が落ちていってしまいますが

心にも、心のトレーニングが必要かと思います。

思い通りにならない状況が有効な教材となったりして。

幾度かのピンチをチャンスに変えながら

日々自分で自分を作り上げて行く作業が必要なのではないでしょうか?

そして、実は「魂」の状態が一番大切なのではないかと思います。

魂が喜ぶ事をしているか、どうか・・・

自分の中に揺るぎない存在があるか、どうか・・・

自分が何と繋がっているのか・・・

「体」と「心」と「魂」がベストな状態であってこそ、健康であり、幸せであると思います。

当たり前の事ですが細胞は毎日生まれ変わっています。

私たちが意識しようとしまいと日々再生を繰り返しているのです。

何かに捕われて、心がそこに立ち止まっていても、体は生まれ変わるのです。

悲しい時も、悔しい時も、恨んだり、憎んだり、苛立ったりした時も

体は常に新しい自分に生まれ変わろうとするんです。

それは本来の状態に戻ろうとする自然治癒力が働いているからでもあります。

健気にもそうやって一生、自分に寄り添うと覚悟してくれた肉体を

私達はもっと労わってあげてもいいのではないでしょうか?

この顔、体付き、肌の色・・・持って生まれた自分の肉体と折り合いを付けながら

出来れば良い状態で長く使えるように、我々の方から一歩歩み寄るような気持ちで

体に語りかけてみては如何でしょうか?

体を摩ったり、撫でたりしてみては如何でしょうか?

例えばパソコンに夢中になって、背中が丸まっていることにふと気づいた時

さっと、背筋を伸ばします。

すると、体が“気が付いてくれてありがとう!”と言うんです。

まずは姿勢を正してみましょう。

背骨をまっすぐにして、その真上に頭を置くだけでも、筋肉の負担は減るのです。

肩を少し後ろに引くだけで内臓は圧迫感から解放されるのです。

腕の力を抜くだけで緊張がほどけたりするのです。

また、白米を玄米に変えるとか、くだものや生野菜を積極的に摂り入れるとか、

自然の中に身を置いてみるとか、深呼吸を心がけるとか

体が喜ぶ物を食べ、体が喜ぶ動きをし、体が喜ぶ習慣を付けてあげる。

一番 身近で大切な人の健康を祈る様に「自らの体」に関心を持ってあげましょう。

そして自分の「心」を労わってあげる事も大切です。

お気に入りの曲を聴くとか、好きな食べ物を食べるとか、気心の知れた人と語り合うとか、温泉に浸かるとか、

“幸せだなぁ~、気持ちいいなぁ~、嬉しいなぁ~”という快感を定期的に与えてあげましょう

最後に「魂」

魂が傷ついてはいないか?

魂に嘘をついてはいないか?

自分を愛することから、全ては始まる様に思います、

自分を愛するという事は、つまり自分を産んでくれた両親を愛する事でもあり、

その先のご先祖様達を愛することにもつながり、

辿リつけば自分が生れる事を許可して下さった神様を愛する事だと思います。

必要以上に自分を責めたり、自分を批判したら

それら自分の背景をも全面否定することになりますよね。

そうすると、体も心も、そして魂も 本来の力を発揮できなくなってしまう。

自分で自分を認めてあげる。

足りないところも丸ごと受け入れてあげる。

自己肯定感をしっかり持つことで、初めて他人を肯定できるような気がします。

自分を肯定できたら、他人を羨んだり、妬んだりはしないでしょう。

他人と自分を比べて一喜一憂しなくなります。

自分が生れてきたということは、神様や先祖から託された事があるのだと・・・、

この悲しみも、ときめきも、喜びも、自分だから託された。

そう実感できた時、ふつふつと自分の奥底から勇気がこみ上げて来ませんか?

この命に託された使命があるのだと信じた方が強くなれます。

そして、自分以外の存在にもちゃんと役割があるのだと理解できると

相手を愛おしく思えてきます。

私はミッション系の高校で学びましたので、聖書は何度も読み返しました。

1735ページもの中で一番伝えたい内容は、結局のところ

「自分を愛するが如く、汝の隣人を愛せよ」 だと理解しています。

隣人が先ではなく、まずは自分を愛する。

自分の命を愛おしむ。自分の人生を肯定する。

そうやって自分の中に溢れた愛が、人に流れて行くのでしょう。

愛に溢れた人は、その存在そのものが世の中に貢献することになる。

存在そのものが・・・そうなりたいものです。

だから思うんです。

健康とは、自分の中が愛と感謝でいっぱいの状態を言うのではないかと。

そういう人でいっぱいになった時に
地球そのものが「健康な星」に戻るのではないかと。