2012年12月29日土曜日

かっこちゃんとてんつくマン

12月22日

チーム「宇宙の約束」の5周年記念講演会が東京オリンピックセンターで

開催されました。

私は、物販コーナーのスタッフをしました。

毎月てんつくマンのアホ学の会場で物販を担当しています。

この日の会場ではてんつくマンを初めて知るお客様もいらっしゃって、

























「あきらめない生き方」や「逆転本」は私なりに解説しながら

紹介したせいか、完売となりました。

それと日めくりカレンダーや、マイ箸セットも完売しました。

ドキュメンタリー映画 「4分の1の奇跡」 の主人公 かっこちゃん

この方は本当に地球人とは思えないくらい、柔らかく透明で、温かい人です。

てんつくマンも「生き仏」と呼んでいました。

かっこちゃんが山を歩くと、鳥や虫が寄ってくるそうです。

また、ヤクザさんを思わず抱きしめてしまったり・・・、人の心に反応してしまう。

特に苦しみや、悲しみを抱えている人の痛みが伝わってしまう。

初めてお会いした時と全く変わらない。

憧れるなぁ~、分け隔てなく人を包み込む懐の深さ、大きさに。

そして、この日のゲスト・テルミン奏者の大西洋子さん。

生まれて初めて「テルミン」という楽器を拝見しました。

音色は一度は聞いたことがありましたが、生演奏は初めてで、驚きました。

手で触れることなく音を操るんです。

言葉ではとても説明できないので「テルミン」で検索してくださいませ。

この世にも不思議な楽器。

プロの演奏者は国内で二人だけとの事。

大西さんの演奏はアニメや映画の中で使われているらしく、

例えば「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉オヤジが登場するシーンなんかで

ヒュルルル~ひゅ~ううう

という不気味な音。

この楽器を匠に操るだけあって、奏者の大西さんも得体が知れない

不思議な雰囲気の方でした。

とっても可愛らしい、でも年齢が全く読めない・・・

かっこちゃんとてんつくマンは、あまりにもタイプが違いすぎるので、

二人がステージに並んだ時は、そのギャップに笑ってしましましたが、

二人の共通点は「あきらめない生き方」だと思いました。

二人の講演を聞いていて私なりにまとめると、

人間は不完全である。

だけどその分、互いに補えるようになっていると。

苦手なこと、不得意なことは、そんなに無理をして克服しなくても、

得意な部分にきちんと責任を持って取り組めばそれでいいと。

世の中はバランスを保てるようになっているから

それぞれが、ワクワクすることに懸命に向かうことで、全ては上手くいくんだと。

そんなことが言いたかったのだと思います。

2012年12月28日金曜日

満月

今宵は満月。

ちょうど1ヶ月前の夜も満月でした。
















函館の街を包み込むように照らす黄金の満月

宝石箱のような函館の夜景

月に照らし出される波打ち際、

乾いた空気 

午前中の大雪、

絶妙のタイミングで全てが揃い、目の前に現れた情景に

心は癒され、浄化されました。

慈悲なる光、
小さな幸せに感謝出来た時、人は多くを望まない。

この光景を映し出せる自分の目があることにさえ、

心から感謝出来た。

オープンハートの会

古市佳央さんのオープンハートの会のクリスマスパーティに招待され

出席しました。

パロディオペラを上演するとのことでしたので

笑う気 満々で行きました。

岩手県陸前高田の慈恩寺で実際にあった出来事を面白おかしく演出したもの。

復興支援の為に訪れた慈恩寺の屋外トイレに、深夜2時頃、友人のヒロさんが入り

大の方を終えた後、トイレットペーパーがないことに気付き、

闇に向かって「ヘルプ」と叫んだのですが、

その雄叫びを聞いた女性2人には「ヘルプ」とは

聞き取れず、獣か魔物か幽霊がどこかにいるのだと思って、一人は逃げ去ってしまい、

一人はランプを持ってトイレの扉まで行ってみたとのこと、

実際に紙はあったのですが、センサーライトで時間が経つとあかりは消えてしまい、

真っ暗な中で、うろたえてしまい、紙があることにも気がつかず、

闇の中、お尻を出したまま、大声で「ヘルプ」と叫ぶしかなかったヒロさんの

悲しさを、芝居にしたのでした。


















ヒロさんはロックのギターリストでしたから、きっと思わず英語で「ヘルプ」と

言ってしまったのでしょう。

どなたか紙を持って来てくださ~いとか、誰かいませんか~?とか

ではなく・・・

その発音が今ひとつだったのが笑えます(#^.^#)

という内容で、この日は、ヒロさん本人がヒロさん役で舞台に立ち、

その場の様子をリアルに演じてくれました。

どちらかというと人を笑わせるようなタイプではない方なので、

そのぶっきらぼうさがまた聴衆の笑いを誘っていました。

小道具として使われていた、トイレットペーパー製の被り物が

あまりにもインパクトがあったので、上演後、被らせて頂きました。



2012年12月19日水曜日

クリスマス・ライブ

カフェビスケットでの第2弾ライブ

12月15日(土) HIROKOライブ・歌と秋田民話の世界

秋田に言い伝わる民話を秋田弁で語りました。
























お客様の中に、秋田出身の方が2名、秋田に疎開していたという方が1名

いらっしゃって、懐かしがって聞いてくださいました。

今回のお客様は比較的年齢が高い方が多く、それだけで謙虚な気持ちになりました。

あまりにも理解できなさそうな秋田弁に関しては、時々解説を入れながら

5話、語りました。


























幸せになった話:「頭の柿の木」

不思議な話:「赤神と黒神の戦い」

怖い話:「酒てん童子」

とんち:「屁たれ嫁」

感動する話:「花さき山」



















2部はクリスマスソングを中心に、オリジナル曲や日本歌謡曲を歌いました。

「アメージンググレイス」や「きよしこの夜」などは

会場のお客様も一緒に口ずさんでくださいました。

リトミックや指体操で、時々体を動かして頂いたりしながら、

あっという間の2時間でした。

都内から親友も駆けつけてくれて、


また、昨年のライブから1年ぶりのお客様も来て下さり、

最後にサプライズ

申し込みの無かったお客様が花束を渡して下さり、感動してしまいました。

ライブおめでとう の花束ではなく 

「3年間、ご苦労様でした。よく一人で頑張ってきたね」のコメントをくださいました。

前日が主人の命日でしたから。

そのお客様は、主人の告別式で弔辞を読んで下さった、当時の自治会長。

主人を「弟のようだ」と慕ってくださっていましたから、本当に有難かったです。

今回も心温かいお客様から、たくさんの愛をいただいて、

無事にライブは終了しました。





2012年12月17日月曜日

函館の夜

函館生まれ、函館育ちの幸頂に案内されて、函館を満喫しました。

昼は行列ができるラーメン屋さん。
まずは

塩ラーメンを。

外は雪。

ラーメンで

一気に温まりました。

ここの杏仁豆腐

驚く程

美味しかった。

丼サイズいっぱい

食べたいくらい。





大きなクリスマスツリー、毎年この場所に飾られるそうです。

点灯式では、このツリーの前で、アーティスト達によるエンターテインメントが

繰り広げられるとか
夕方、試点灯されてましたが、クリスマスシーズンは毎日点灯され、

マスメディアでも紹介され、全国から集まるほどなんだそうです。
函館山を背景に。

まるで外国みたいな街並み。

幸頂はプロの整体師。というか学校で整体を教えていた先生。

函館まで来ないと幸頂(コーチョー)の施術は受けられないのですよ!!

函館まで来て、幸頂の施術を受けずに帰るわけには行きません。

念願の幸頂のお店「ラファエル」へ。
サロンの入口には天使の絵が飾ってありました。

そして幸頂の書き下ろし作品が各スペースに。

私が一番気に入ったのはこの作品。
「大切なのは今だから」

心に響きました。とても・・・

たっぷり施術してもらいました。

その効果は日を増すに連れて現れ、体が随分と楽になりました。さすがです!

午前中は大雪で、物凄い風が吹いていたのに夕方頃になると

空は晴れ渡り、美しい夕焼けを見ることができました。

夜は念願の函館山へ。

テレビや絵葉書で函館の夜景は見たことがありましたが、

実際にこの目で見るのは初めてで、しかもこの日は満月。

函館中の夜景を集めても、満月の輝きには叶わないのではないかと思うくらい

大きく、まぁるく、、優しく、堂々と、その姿を惜しみなく現し、
函館の夜を照らし、

やがて時と共にその位置を移動し、海沿いの真上に・・

波打ち際が、黄金色の満月に照らし出され、キラキラと輝き、

本当に夢を見ているようでした。

自然現象とは言え、このタイミング。

神様はありとあらゆるものを使ってこの瞬間を演出して下さったような気がします。

初めての函館でこんなに美しい風景を見せられて、最高の贅沢を味わいました。

幸頂が「函館に住んでいてもめったにお目にかかれない」と感動していました。

満月の日と知って予定を入れていたわけでは無かったので、

本当にサプライズです!

幸頂が面白い写真を撮ってくれました。

題して「月を食う女」

そして「月を手にする女」
函館は本当に寒かったですが、幸頂はじめ、幸頂の奥様

一日ドライバーとして付き合って下さった米沢さん、

ライブに来てくださったお客様方、公会堂で衣装を着付けしてくださった方、

メイクを担当して下さった方、FMラジオ局の方々、

街ですれ違った人達、

皆さん、とっても温かかったです。

人の温もりが一番ですね。心がホッコリしました。
最終の飛行機で帰路に。

最後の最後に大きなプレゼントがありました。

それは・・・

飛行機の座席。

窓側、しかも月が見える側。飛行機の窓からずっと月が見えていました。

地上にいたら見上げる月を、機内から同じ目線で見てました。


レンガの街で

函館のレンガ造りの街並みを歩きながら、

懐かしさでいっぱいになりました。
恐らく前世、レンガに囲まれて暮らしていたのでしょう。

私は自宅の壁にわざわざレンガを貼りつけたりしています。

レンガを見ているだけで、落ち着くんです。
変ですかね。今を生きているのに・・・

でも、今回は「日本」を選んで生まれてきた。

この時代 この国でやるべきことがあると、日本人として生きる覚悟を決めて来た。

決して物質的豊かさを願ってきたわけではなく

それが保証された上で、何を得、何を与え、何を持ち帰るのか、

テーマがある。

どこまで達したかの「ポジション」ではなく、

どちらを向いて生きてきたかの「ベクトル」

死ぬ時に問われるのは、 何をしてきたかではなく
何の為に生きてきたか だと思う。





函館2日目

ライブを無事に終え、緊張から解放されて迎えた函館2日目。

主催者の斎藤透(幸頂)さんが函館を色々と案内して下さり、

たくさんの思い出ができました。

まずは八幡様。




















参拝していると、突然雪が降りだし、まるで滝修行のような感覚。

一気に浄化されたような気がしました。

日本の神様にご挨拶した後は、教会へ。

私はミッション系の学校に通いましたし、幼い頃から、妄想の中で

いつもイエス様に語りかけていました。

ここの教会の中に入ると、何だか泣けてきました。

一体誰の涙か、何故泣きたくなるのか・・・わからない。

 20代の頃、フランスを訪れた時に入ったロシア正教の教会を思い出しました。

                     似たような感覚でした。

                    ずっとずっと祈っていたい。

             まるで自分が前世そこにいたような懐かしさを感じました。

              確かに私の前世はクリスチャンだった事が多いとの事。

この教会のすぐ近くに古い公会堂があり、

中では貸衣装を来て自由に撮影ができるというサービスがあったので

幸頂に勧められてドレスを着て見ました。
 
私は結婚式でお色直しをしなかったので、ちょっと憧れも有り、

ドレス担当の職員の女性に

「真っ赤なドレスに負けない華やかさがありますよ」なぁ~んて言われその気になり、

派手な衣装を選んでみました。
ドレスを着て館内を歩き回りました。

結構重いんです。階段を登るのに一苦労でした。

ネックレスやティアラ、イヤリングは

本格的なもので、その気になってしまいました。


実は幸頂はカメラマンとして働いていたこともあったとかで・・・


そして実は何を隠そう私も学生時代はモデルをしていました。
広間に入ると思わず踊りたくなりました。

ディズニーランドのようにテーマパークとして造られた建物ではなく

実際に古い時代から市民が使っていた建物なので

中に入っただけで、歴史を思わせる迫力がありました。

2012年12月15日土曜日

あの日から3年

12月14日、主人の命日




















3年前の今日 肉体を脱ぎ捨てた主人はきっと今頃、

あちらの世界でも、忙しく働いているのではないでしょうか?

お墓参りの帰り道、なんという美しい夕焼け雲。

思わず、車から降りてカメラに収めました。

この夕焼けに"ありがとう”の言葉しか出てこない。
















うつむいてはいけないよ。

空を見上げるんだ。

美しい世界をたくさん見つけてご覧。

一瞬一瞬、移り変わっていくからね。

見落とさないように。

人生はあっという間に終わってしまうから。

3年間よく頑張ったね。

ありがとう。

この夕焼けは君へのご褒美だよ。


3年間アクセル全開で走り続けて来た。

でもどこかで叫んでいた。「誰か止めてぇー!」と。

主人の命日を覚えていて下さって、お墓参りをしてくださった方々がいます。

主人と短い付き合いにも関わらず、

身内の如く、主人を慕ってくださっている方もいます。

サンドラキムチの加藤社長は、いつも我々家族を気にかけて下さり

今日もキムチを届けにわざわざ訪ねて来てくださった。

ただのキムチではなく、主人が生前出願していた特許が

主人亡き後で認可され、それを使って新商品を開発してくださった。

ナノ型乳酸菌入りのキムチ。

主人にお供えしてから、家族みんなで食べました。

本当にあっという間の3年間でした。

もう泣かない。

人生はこれからです。