2011年7月30日土曜日

No26/四本木地区夏祭り

8月6日(土)・7日(日)

第3回 四本木夏祭りが開催されます。
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[6日]  10~12時:子供神輿 地区内練り歩き

   16時~::納涼演芸大会 

   17時5分~ カラオケ大会・前半(司会:ヒロコママ)

   18時40分~ カラオケ大会・後半(18時40分からヒロコママの弾き語り)

   19時20分~ 盆踊り・高麗川小音頭(振付指導:ヒロコママ)

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[7日] 18時~21時:山車 曳きまわし

      我が家の長女が奏でる「篠笛」 

   是非とも、実際に聞いてみてくださいませ!

   地元の篠笛の師匠が太鼓判を押す音色です。

   篠笛歴5年、驚くほどの肺活量です。

   日頃から吹奏楽部でフルートやピッコロを吹いているからでしょうか。


  我が家の長男・次男が舞うひょっとこも見事です。


長女が篠笛、次女が太鼓、長男がひょっとこ、次男が鐘、

我が家の四人の子供達は、揃ってお囃子を楽しんでいます。


家族揃って、芸が披露できるのは嬉しい事です。



地元、四本木地区の子供達は夏祭りに向け

毎晩、毎晩、練習に励んでいます。

地域の囃子連合会の方々がそれはそれは熱心に

指導して下さっています。

こうして伝統芸が受け継がれていくのは

素晴らしい事だと思います。

区民の楽しみでもあり、

年に一度のこの夏祭りで、御ひねりを出すのが

”生きがい”というお年寄りも多いのです。

”来年の夏までは生きていよう!”と励みになるんだそうです。

このような機械が、子供達の心を育てているとも感じます。

”地域の方々を喜ばそう” という純粋な思い、

子供ならではのサービス精神が祭りを盛り上げます。

是非、四本木夏祭りにお越し下さいませ。


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2011年7月26日火曜日

No25/中学生海外派遣団壮行会

7月25日(月曜日)

第14回日高市中学生海外派遣団の壮行会に、教育員として出席しました。

日高市内の中学2年生、女子5名、男子4名、計9名がオーストラリアに出発しました。

生徒達は、親元を離れ異国の地に飛び立つのに、何の不安もないような雰囲気で、彼らのきらきらした目と表情に、私までわくわくしてしまいました。

見送る親御さんの方が、緊張していたように見受けられました。

13~14歳の彼らが、この9日間でどれだけ成長して帰ってくるのか、

帰国報告会が楽しみです。

おそらく、海外では東日本の大震災とその復興状況について関心があるはずなので、

その点を、自分なりの視点から、自分なりの言葉で伝えられたら素晴らしいと思います。

また「なでしこジャパン優勝」も話題に出ることでしょう。

この時期に、海外に行けるのはとても意義深いと思います。

彼らを乗せたバスが市役所前から見えなくなるまで、手を振りました。

たくさんの感動を持って帰ってきて欲しいと・・・

私の方が期待でいっぱいです。

2011年7月24日日曜日

No24/映画監督・永伊智一

震災の一か月前、東京・中野で開催された『医療改革ミーティング』で

永伊監督と出会いました。

出会った日、深夜3時過ぎまで語りあいました。

もっと早く出会いたかったと。

主人が生きているうちに、一緒に出会いたかったと・・・・

そう思わされたのは、日本の医療現場の裏事情をはじめ、マスコミの真実等、

一般国民には知らされていない情報を、知り尽くしていたからです。

メールのやり取りをする中で、永伊監督の使命が如何に大きいかを感じました。

私も微力ながら力になりたいと伝えました。

出会った時は、こんな大震災が来るとは想像も付かなかったですが

永伊監督はある程度の予測はあったようで・・・・

今回の地震にアメリカが関わっているとの情報。

あまりに愕然とする内容で、場合によっては受け入れられないかも知れません。

情報の捉え方は人それぞれ違いますが・・・、

是非、永伊監督の活動内容を知って頂きたいと思います。

NGAIpro    http://www.nagaipro.com/  まずは見て下さい。

mailnews@nagaipro.com

私もいつも最新情報をチェックしています。



そうそう、永伊監督が助監督だった頃の話ですが

先日亡くなった俳優・原田芳雄さんと一緒に仕事をされた事があるそうで、

原田さんからの "この世界辞めんなよ、ずっと続けてくれよ!”という言葉を胸に映画を撮り続けて来たそうです。

2011年7月22日金曜日

No23/秋葉原で司会を

7月21日(木曜日) 秋葉原でトークショーの司会を務めました。


来場者は会社や商店等の経営者が多く、約80名、20~60代の方々、男性が7割。

       ・『 鈴木正大 』
株)正建プランニング代表取締役/一般社団法人スイッチON日本・代表理事

       ・『 井上敬一 』
シオングループオーナー、株)FAKE・代表取締役

      このお二方のトークの他、スペシャルゲストが3名



        『 粟生隆寛 』 選手
    < WBC世界スーパーフェザー級チャンピオン >

       ・『 山中慎介 』 選手
    < 日本バンタム級チャンピオン、WBA世界ランキング1位 >

       ・『 木村悠 』 選手
    < 日本ライトフライ級6位 >



         粟生選手の世界チャンピオンべルトを間近で見ました。

              持たせて頂きました。

              とても重かったです。

    実際の重量より、それを勝ち取るまでの自分との闘いを想像しただけで

          私にはず~んと重く感じられました。



            ボクシングは3歳の頃から始めたとの事

             さぞかし強い子供だったのではと、

         ”小・中学生の頃はケンカしましたか?”と質問すると

           ただの一度もケンカはした事がないんだそうです。
             本当に強い人は手を出さないんですね・・・

          ”試合当日、恐怖や不安は感じませんか?”との質問に

               きっぱり ”ありません”と。
   
    それまで自分を追い込んで、やれるだけのことを全てやってきた過程が

        ”俺は強い、強い、強い、”と思わせてくれるんだそうです。

        特にイメージトレーニングに力を入れているわけではなく

           自然にそう思えるんだそうです。

        1か月で10Kgの減量も苦しいと感じたことはないとか。

           ” 減量も仕事のうちですから“ と。

 印象的だったのは、「対戦相手に失礼のないように準備する」 という姿勢。

           ただ勝ちたいだけじゃないんですね

         真剣勝負ってそういうことなのかなぁ~と思いました。



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        井上敬一さんのトークはとても新鮮でした。

           まだお若いのに、人を育てる力のある方で、
            人は年齢ではないと思わされました。

          人生に起こる様々な出来事の捉え方次第で、
           如何様にも成長出来るものだと感じます。

      トークの中で、何度か繰り返していた言葉がありました。

         ”皆さん、成功よりも成長しましょう!”

    成功を目指すのではなく、成長していきましょうとの語りかけに

         なるほどなぁ~と頷いてしまいました。

             また実感したのは

         ” 出来るか出来ないか?” ではなく、
   
        ” やるかやらないか?” しかないのだと・・・

     これは、てんつくマンの精神 『動けば変わる』に通じると思います。




年収?億。

不況知らずの若きリーダーが、

熱く、それでいて謙虚に語るのです。

金の稼ぎ方ではなく、

使い方を知って欲しいと。

金の入り口よりも
金の出口を伝えたいと。

京都・立命館大学で哲学を学ぶも、

人生は教室では学べない!

書斎の知識より実体験

『書を捨てよ、町へ出よう』と、

大学を辞めてしまった人です。

早速、井上さんの著書を購入しました。

『人生は出逢い』とサインを下さいました。

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今回の司会の依頼は鈴木さんから頂きました。

今月、川越で行われた速読セミナーの会場で

私の弾き語りとトークを聴いて

声を掛けて下さいました。

              人って不思議ですね・・・

         人柄は滲み出てくるものなんですね

           虫が光に寄ってくるように

       人も愛のある人の所に集まって来るのでしょう

      魅力ある人の周りには、自然に人が集まって来る。

    講演が終了してからも、鈴木さんは参加者に囲まれていました。

         帰り際、鈴木さんが話して下さいました。

     次回は司会者ではなく、ゲストとして出演して欲しいと。

            有難いことです。

         年内に叶えたいと思います。

2011年7月20日水曜日

No22/原田芳雄さん死去

           心惹かれる俳優さんでした。


           初めて見た時からずっとファンでした。

                独特の渋い声

              ぶっきらぼうな話し方

     野性的な雰囲気の中にも、優しさや可愛らしさがあって

      原田さんが登場するシーンはとても味わい深く

            心に刻み込まれています。

 数年前、NHKドラマ「白洲次郎」に吉田茂・役で出演していましたが

          芝居なのか、本音なのか・・・

       原田芳雄なのか、吉田茂なのか・・・

      あまりにもリアルで、そして、自然体で、

白洲次郎と吉田茂の会話のシーンは、何度も巻き戻して見ました。

      松田優作さんも大好きな俳優でしたが、

松田さんは、原田芳雄さんのしぐさや発生を参考にしていたそうです

実は長男を妊娠中、松田優作さんが夢に現れて伝えてくれたんです。

        ”優しさを兼ね備えた逞しさ”
     
それで優しい男(太郎)であって欲しいと、お腹の子は男の子に違いないと

     松田優作から一字を取って『優太』と名付けました。

     名前の如く ちょっと優しすぎて、繊細で、神経質で・・・・

原田芳雄さんや、松田優作さんとはまるでかけ離れた雰囲気の息子ですが、

          でも、でも、

  父親の死を乗り越えられるだけの逞しさも持っています。



     また憧れの俳優さんが逝ってしまったぁ~

原田さんも松田さんも、遺作は病に蝕まれた体をおしての収録でした。

     お二人とも”プロ根性”を示して逝かれた。

 原田さん71歳、もう少し原田さんの芝居が観ていたかったです。

        残念ですが・・・

        ご冥福をお祈りします

No21/この方、覚えていますか?

                 今から約30年程前

     「欽ちゃんのドンとやってみよう!」という人気番組に出演していた、

             『気仙沼ちゃん』を覚えてますか?


            同じ世代の方々には、懐かしい響きでしょう。

                本名、白幡美千子さん(57歳)

         当時、気仙沼の地名を全国に知らしめた『気仙沼ちゃん』

   この度の震災で、彼女が経営する民宿にも津波が押し寄せたとの事。

              交流を続けていた萩本欽一さんが

            三重県の観光大使を務めていることから

   四日市市特産の万古焼の鍋や茶碗など食器1000個を託したそうです。

       現在休業中の民宿は、来年の秋頃に再開予定だそうです。

       それにしても当時と変わらないはつらつとした笑顔

                 お隣はご主人。

             お幸せそうで何よりです。

2011年7月19日火曜日

No20/なでしこジャパン・世界一


              おめでとう!そして、ありがとう!!

                  震災から4か月

             気丈に頑張ってきた東北の人達も、

         心身共に限界に来ていたのではないでしょうか・・・

       そんな時、なでしこジャパンが見せてくれた日本の精神。

         先制されても追いつく、追い込まれてもまた追いつく

            耐えて、しのいで、もぎとった「優勝」

              あの信じ難い底力は

      自らの為ではなく他者を思って戦う気持ちから生まれたのでしょう

                

                


                    大和魂を見た思いです




            "良い結果を届ける。その一心でした。”

              ”必ずメダルを持って帰る!”

         ”今メダルを取れなかったら、いつ取るんだ!!”

             そんな選手たちの言葉から、

        技術や知識より心の強さが勝利に導いたのだと感じました。

               実際、ピッチの中でも

         ”あきらめんな!”という声が飛び交っていたそうです。

         精神面では既に、アメリカに勝っていたように思います。

    あのPK戦を観ていたアメリカ人達は恐れを感じたのではないでしょうか

         恐らく戦後、アメリカ人が最も恐れた日本の精神性

       今、地震、津波、原発事故で追い詰められているように見えても

              なでしこジャパンの一人一人が、

            最後の最後まで諦めないで走り続けたように、

              ここから 日本も這い上がってくる。

                ”これが日本人だ!”   

            原発社会で麻痺してしまっていた創造性を

          脱原発の社会を作る事で、呼び起こしたらいいんです

         精神面だけでなく、元々日本人には優れた技術もあります。

              こんな小さな島国だけど

           世界をリードできる内容は持っていると思います

               なでしこジャパンが、

          今の日本列島に与えてくれた勇気は計り知れないです。

              この勝利はまぐれではありません。



2011年7月18日月曜日

No19/特定非営利活動法人・友結会ふるさとケア

本日、7月18日(月曜日)

 特定非営利活動法人・友結会ふるさとケアの

創立10周年記念祝賀会の司会を務めました。



会長の古本良子さんは私と同い年です。



高齢化社会を見据えて、10年前から地域に根差した活動を展開していらっしゃいます。

女性ならではの肌理の細かい心遣いと

明るく、元気で、ひょうきんな一面もあり、

スタッフとの信頼関係や仲の良さも見て取れます



(有限会社)新世紀解体工業・代表取締役の引間豊社長

昨年、こちらの会社のイベントに呼んで頂き、

弾き語りをさせて頂きました。



古本良子会長が

”ご主人にどうぞ”と花束を下さいました。

そのお心が有難かったのですが、

私にとっては、主人からの贈り物のような気が致しました。

ちょうど2年前の夏も、こちらの会主催の式典の司会を務めました。

今思えば、その時

主人の癌は既に再発していたのです。

なのに・・・

私は主人に車の送迎を頼みました。

あの日は司会だけでなく、私の弾き語りのコーナーもありましたので

重い機材を持ち込んでいました。

迎えの時刻に2時間半も待たされて、それからしばらく口を聞けませんでした。

何だかとても大人げないですがー、

あの2時間半が訳も無く悲しかったのです。

何故かその時に限って携帯も繋がらなくて、

タクシーで帰る事も出来たでしょうに

私はどれだけ待ち続けられるだろうか?

待っていたら本当に迎えに来てくれるのだろうか・・・

このまま信じて待っていていいのだろうか?

”ひとりになってしまうかも知れない”

という言い知れない不安。

ようやく迎えに来てくれた主人の顔を見て

泣いてしまいました。

複雑な思いをどうすることも出来ず、流れる涙を拭い去ろうともせず

言葉もなく・・・

今思い返してみても胸が締め付けられそうになります。

その10日後

主人は余命半年と宣告されました。

そして3か月後、主人はこの世を去りました。

今回、2年前と同じ主催者さんからの依頼で、

お客様もほとんど同じ顔ぶれで

またあの日と同じように今日も蒸し暑く

会場も飯能市内で

司会を終えた後、つい思い出していました。

帰り際、会長が

舞台に飾ってあったたくさんの花をまとめて下さり

”ご主人にお供え下さい”と

持たせて下さいました。

その花束を大事にかかえ、電車で帰る途中

”司会、頑張ったね。お疲れ様!”

という主人の声が聞こえたような気がしました。

なので

主人が、今日のご褒美として、花束を手渡してくれたように感じたのです。  

また、帰りの電車は乗り換えもスムーズで、待ち時間がほとんどありませんでした。

まるで2年前の、待たされた2時間半を清算するかの如く。





最後に友結会・ふるさとケアの今後のますますのご発展を祈念申し上げます。












2011年7月17日日曜日

No18/Safe・Draiver

SDカード、ご存知ですよね。

Safe・driver=優良ドライバーとのこと

車の免許を取得してから1年経ちました。

先週SDカードが郵送されて来ました。

何だかサプライズのプレゼントみたいです。

”へぇ~、これがそうかぁー!”とまじまじと見てしまいました。

路上デビューしてまだ1年なので、グリーンカードですが、ドライバー2年生になったという事です。

次はブロンズカード目指します。

まだ不安もあり、緊張しながらの運転ですが、この緊張感が無くなった頃が危ないとよく聞きます。

もう一度原点に戻り、安全運転を誓います。

2011年7月16日土曜日

No17/埼玉県知事選挙

投票日まで2週間。

せっかく投票券が手元にあるのでしたら、無駄にしないで下さいね!

有権者として、堂々とその一票を投じましょう

7月31日am7:00~pm8:00

お忘れなく!!

私の父は、自民党の議員でした。

私が小学6年生の時に初出馬、町中に父親のポスターが張られたり、聴衆の前で声を枯らし熱く語る父親の姿を見て、子供なりに当選を祈ったものです。

そして、父の名前に真っ赤な花が飾られ、当選が確定した瞬間、子供ながらに覚悟を決めたんです。

”私一人の父ではなくなるんだ。これからは公の人なんだから独占しちゃいけないんだ・・・”と。

3期目の選挙の時、私は20歳でしたので、私も選挙カーに乗り、うぐいす嬢として父の応援をしました。

父の誠実さを、一人でも多くの有権者の皆さんに伝えたくて、必死にマイクを握りました。

『若い力!』と歌っていた一期目から、三期目ともなると『実行力のある男』という看板文句に変わりましたが、それでも父は謙虚でした。

父は長年、地元・少年野球のコーチとして、また小・中学校のPTA会長として、自治会のリーダーとして、商工会の会長として・・・等々、いつも指導者的立場にありました。

母は忙しすぎる父にため息をついていましたが。

でも父は今、たくさんの孫達に囲まれ、ますます若返っています。

高齢者野球のチームのキャプテンとして全国大会に出場するくらい、まだまだ体力も衰えていません。

あっ、すみません。

父の自慢話になってしまいました・・・

とにかく、選挙には行きましょう!

こんな時代だからこそ、私達の一票がとても大きいと思います。

投票率、最低50%は超えないと・・・・

2011年7月15日金曜日

No16/ホームパーティで歌いました

7月14日(木曜日)

知人のホームパーティでミニライブを行いました。




50~60代のお客様でしたので、一緒に口ずさめる歌を歌いました。

知床旅情、、なごり雪、上を向いて歩こう,竹田の子守唄、・・・

ビートルズ・ナンバーはお客様との掛け合いになりました。

オリジナル曲も歌いました。


2011年7月13日水曜日

No15/寄付金を渡しました

本日、7月13日(水曜日)、午前10時、日高市役所2階、

大沢幸男・日高市長に寄付金を渡しました。



以前このブログでも紹介いたしましたが、去る5月21,22日に高麗神社を会場に、第6回高麗郷地場産チャリティバザールを開催しました。

その時の収益金の中から、東日本への義捐金として5万円、日高市(高麗郡建郡1300祭年記念事業部)へ5万円を寄付しました。

主催した高麗郷’Sの会員の中から9名が市長に面会しました。



そして日高市社会福祉協議会へ5万円を寄付しました。





只今、日高市役所内、節電中。

昨年6月の電力使用量:54000キロワット

今年6月の電力使用量:41112キロワット

23.9%減

日高市内節電対象の施設全体では

213000キロワットから162000キロワットに

24%減

経済産業省から示された前年比15%減の節電目標をクリア!

確かに市役所のエレベーターのひとつは稼働していませんでした。

廊下や事務室窓側の照明も付いていませんでした。

市役所内もひんやりするような感覚はなく、

28℃に設定されているようでした。


日高市役所正面入口、1階ロビーのギャラリーで書道の展示会が開催されていました。

見事な作品に釘づけになりました。

私の母は書道の師範でして、私は幼い頃から母に扱かれました。

かなりのスパルタだったように記憶してます。

筆運びは、母の呼吸に合わせて学びました。

手で書くのではなく、息をするように書きました。

私は紙の上にきちんと収まっている字より、紙面から飛び出しそうな勢いのある字が好みです。

まるで生き物のような躍動感あふれる書体を眺めていると、血が騒ぎます。

ちなみにウチの次女は書道四段、長男は初段です。

私はすっかり毛筆から遠のいてしまいましたが、書く時は、必ず筆ペンを使います。

手紙や年賀状はもちろん、日記や、学校への連絡帳、メモまで。

PR:(株)呉竹の『筆ごこち』という商品名の、筆風サインペンをここ10年使ってます。

とても書きやすいですよ!

No14/おもしろ作文

小学4年生の次男の作文に思わず吹き出してしまいました。

ご紹介します。


「カワセミ」に変身してしまうところがニクイじゃぁないですか?

どうして「カワセミ」か・・・

日高市のとりは「カワセミ」なんです。

3才上の兄(長男)は小学6年の頃から「カワセミ」の虜になり、冬の朝、まだ薄暗く肌寒い中でも、毎朝早起きして、近くの河原まで写真を撮りに出かけました。

あの美しい「青さ」に心奪われてしまったようで・・・

嬉しい事に、その青さを私に見せたくて写真を撮るようになりました。



彼のカワセミの写真はかなりの枚数で、だんだんコツを掴んだのか、ずいぶん接近出来るようになり、カワセミの動きを予測して捉えられるようになりました。

魚をくわえる瞬間とか、つがいでいる所とか・・・

撮影時のエピソードを、目を輝かせて報告してくれます。

写真から、カワセミを見つめる息子の眼差しや息遣いが伝わって来ます。

今回、そんな長男と私とのやりとりを見ていた次男は、カワセミになった自分を作文に登場させたのではないかと思われます。



絵具では表せない光輝く「青さ」だそうで・・・

自然豊かな日高市に住んでいるからこそ育つ子供達の感性です。

次男は次男なりに私を喜ばせたかったのでしょう。

カメラの腕は兄には叶わないと知ってか

作文の中で自分がカワセミになって、私に撮影させるというアイディアは、何とも心ニクイではないですか・・・

親バカでしょうか。

2011年7月12日火曜日

No13/学校給食に豚キムチ

7月12日の日高市の学校給食に豚キムチが登場致しました。

使われたキムチは『サンドラ・キムチ』という日高市内のキムチ屋さんのもので、とても美味しく、我が家でもよく食卓に乗ります。

地場産の食材が、地元の給食に使われるのは理想的な事だと思います。




ちなみに、今B級グルメなどでも話題の『高麗鍋』はこのサンドラ・キムチがあって誕生しました。


サンドラ・キムチの加藤社長さんがとても懐の広い方で、優しいお人柄が味に反映されているように思います。

『サンドラ・キムチ』是非一度ご賞味くださいませ。

暑い夏も辛いキムチで乗り切れるでしょう!




No12/我が家の天使たち

この1年で買い集めた天使の置物は21個

いくつか紹介致しましょう

いい年して、天使のコレクター?!

と思われるかも知れませんね。

でももしかしたら、存在するかも知れないじゃないですか?

家族が寝静まった頃に、この天使たちは会議をしているかも知れませんよ!

なぁ~んて想像しただけで楽しくないですか?

我が家の4人の天使達も、もちろん可愛いですが、羽の付いた21人の天使達もそれぞれ顔の表情が違っていて、思わず微笑んでしまいます。

そんな心の余裕を忘れたくないなぁ・・・と


朝日を受けて微睡む天使

















No11/ミツバチの羽音と地球の回転

タイトルを見ただけで、心惹かれませんか?




2010年公開のドキュメンタリー映画とのことなので、東日本大震災前の作品ですが、あまりにもタイムリーではないですか?




私は16日に、飯能市民会館に観に行く予定です。

日本だけでなく、世界中の人々が安心して暮らしていく為のヒントやアイディアが与えられそうで、今からドキドキします。

2011年7月11日月曜日

No10/ラヂオメーター

皆さん、ラヂオメーターってご存知ですか?

19世紀の実験器具なんですが、今、それが職人の手によって、オブジェとして蘇えりました。

光を当てるとガラスの中の温度が上昇し、羽がクルクル回ります。

職人さんがひとつひとつ手吹きガラスで製作した優美な姿に、心癒されます。





2か月前にカタログで見つけ、ひとめぼれして購入しました。

大・小サイズ合わせて¥34650-、決して安くはありませんでしたが、

買って大正解でした。

窓辺に置いているのですが、毎朝、朝日を受けてガラスの中の羽が勢いよく回るんです。

曇りの日でも、それなりにゆっくり羽が回ります。

太陽の恵みを目に見える形で確認出来ます。

回転速度が速いと、9歳の末っ子は”すげぇ~!”と大はしゃぎです。





夜はキャンドルの灯りを受けて、静かに回ります。

当たり前の事ですが、ロウソクは酸素があって初めて燃えるわけで、燃える事で熱が発するわけで、その熱がガラスの中の羽を回すわけで、そのからくりについつい、原子力でなくてもいいのになぁ~等と考えてしまいます。

子供達も、コンセント無しに回転し続けるラヂオメーターに色々と思いを巡らせているようで、じーっとながめていたりします。

私もこのラヂオメーターを見つめていると、不思議な感覚を持ちます。

生かされているのだと・・・・

酸素がある事、毎日日が昇る事、雨が降る事、etc

私達に絶えず注ぎ込まれているエネルギーは計り知れないと・・・

いろんな事にもっと感謝しなくちゃ、ですね。



よろしかったら、ひとつ手に入れてみては如何ですか?

2011年7月10日日曜日

No9/思春期の子育てを考える

7月10日(日曜日)

日高市・高麗川地区・青少年健全育成の会が主催の講演会に参加しました。


驚いたのは『思秋期』があること

我が子が、中・高校生の『思春期』を迎える頃、親が『思秋期』を迎える年代に入っているケースが多いこと

要するに、更年期症状が出て来やすい時期に、難しい年代の子供と向き合わなくてはならないわけで・・・


でも、お互いに、その時期がどのような状態になりやすいのかを把握しているだけでも

”あぁ、今はこんな時期だから、仕方ないかぁ~”と思えるような気がします。

『思春期』は自意識過剰になり安く、身勝手なんだそうです。

その身勝手さを押さえつけてしまうと、うまく自立が出来ない事が多いらしく、ある程度は身勝手な振る舞いを、でぇ~んと構えて見守ってあげるくらいでいいんだそうです。

私はついつい、どの程度の身勝手さまで許していいのか質問をしてしまいました。

すると、社会に対して、学校に対して、家族に対して迷惑をかけているか、どうかが一つの目安になるのではないかとのお答え。

家族に対しては、それぞれの家庭にルールを持ち、「我が家はこういう方針だから!」と言い切れるよう忽然とした態度をとることが大切との事。

また父親の存在が非常に大きいという話がありましたが、主人を亡くした私にとっては気になる事でして・・・

私が父親代わりをしても、限界があると。

特に息子達への接し方は考えてしまいます。

一番良いのは、学校の中で男性の担任とか、部活動の顧問の先生とか、身近に父親代わりになれそうな存在を見つける事と、お答えくださいました。 

でも今のところ、我が家の子供達は素直に、のびのびと生きています。

切り札は、やはり亡くなった主人です。

”お父さんだったら、何て思うかなぁ?”とか

”生きていたら何て言うかな?”とか

それが一つの判断基準になっているようです。

私も”お父さんが悲しむんじゃないかなぁ?”とか

頑張った時は、”きっとおとうさんも喜んでいるね!”とか

一緒に生きていると感じられるように話しかけています。

この感覚がずっと続いてくれたらと思います。

とても有意義な講演会でした。

西田隆男先生はさすがに知識が豊富で、お話の内容も確かなデータに基づいたものでしたので、
興味深く、聴くことが出来ました。



10月8日の講座も是非、参加してみたいと思います。

私も一応、体操指導者ですので、色々と吸収して来ようと思います。

皆さんも如何ですか?

2011年7月8日金曜日

No8/送電線国有化・署名17万人

昨日、経産省の中山大臣政務官に、てんつくマンと仲間たちで17万の心を届けました。

ご協力下さった皆さん、どうもありがとうございました。



合言葉は『動けば変わる!』

東京で使う電気の為に、他の地域が犠牲になるのは、やはり変。

東京で使う電気は東京で作らないと・・・

ちなみに我が家に太陽光発電パネルを設置してから4年半。

強い日差しで紫外線が気になる事もありますが、でも、パネルを取り付けたせいか、いつも、太陽の恵みに感謝しています。

経済効果を期待しているのも事実ではありますが、太陽の恵みを無駄にしていないという小さな充実感。

冬空の中に時折顔を見せる太陽、梅雨時の合間に気まぐれに顔を出す太陽、

太陽は等しく人を照らしますから、

それを電気に換えて使わせて頂く時、自然に有難いと感じます。


今朝も太陽に感謝!!

2011年7月7日木曜日

No7/細川元首相の言葉

「地震や津波は天災だが、原発は犯罪だ!」

細川元首相の言葉です。

「人災」ではなく、あえて「犯罪」という言葉を使われた。

本当に人間は恐ろしいものを作りだしてしまったと・・・・

人間はコントロール出来ないものを作り出しておきながら、今、それに脅えながら生きて行かなければならなくなったわけですよね。


今月5日に辞任した「松本龍」・前復興対策担当相は

”知恵を出さない奴は助けない”と発言し被災地の反発を買いましたが、

確かにその言葉だけを見れば、偉そうに・・・とも思ってしまいますが

でも、でも、

被災地のみならず、国民一人ひとりが本当に知恵を出すべき時代に来たと感じます。

政治家任せでは、この国はもう機能しなくなってきているように思います。

あっ、失礼致しました・・

(高い志しを持って精一杯努力されている、尊敬すべき議員さんも確かにいらっしゃいます)

私も一主婦の立場で、無い知恵を振り絞って、節電の工夫をしたり

四人の子供達と食卓を囲みながら、あれこれ意見を交換し合ったり

何か小さな事からでも、出来る事を見つけてやって見ようと思います。

放射線被爆が、既に避けられない状況なら

被爆してもガンにならない体質に変えていくとか、

主婦としては、毎日の食事からですが。

自慢ではありませんが、我が家の食事は、とても質素です。

実家の母に同情されるくらい、というか、心配されるくらい。

肉はほとんど食べません。

牛乳も飲みません。

梅干し、胡麻、昆布、納豆、豆腐、生野菜、根菜類の煮物、・・・・

美味しいと感じるのはそのようなものばかりででして

でも我が家の子供達はめったに風邪をひきません。

インフルエンザの予防接種は一度も受けさせていませんが、毎年かからずに済みます。

「予防に勝る治療はない!」主人の口癖でした。

主人が開発した健康食品『免疫宝茶』は、我が家にとって無くてはならない万能薬です。

話がそれましたが、

原発は犯罪だ!としても、恩恵を受けてきた事も否定できないわけですから、これからは犯罪を増やさないこと。

誰かを責めるのはひとまず止めにして、建設的なことにエネルギーを使った方が健全ではないでしょうか

2011年7月6日水曜日

No6/送電線の国有化

日本の自然エネルギーの技術は世界トップレベルなのに、どうして自然エネルギーの自給率が低かったのか・・・?

てんつくマンのメルマガをご覧になってみて下さい

そしてもし、なるほど!と納得されたら、是非ご協力下さい

http://maketheheaven.com/japandream/

私も大分、署名を集めましたが、実は今日の午後6時が締切でして・・・

よろしくお願い致します。

2011年7月4日月曜日

No5/速読法

7月2日(土曜日)・川越市にて、メンタルコーチの筒井正浩講師の1Dayセミナーに参加しました。

そこで速読法を学んだわけですが、右脳を使って文字を捉える方法を教えて頂きました。

参加者は20代~50代、北は北海道、南は福岡、その他、神奈川県、群馬県、都内からもたくさん来ており、自分を高めたいと願う、勉強熱心な方々ばかりでした。

私も含め、参加者全員が読書の速度が確実に早くなりました。

驚きです。ちょっと疑っていたのですが、こんな私でも2倍近く速くなりました。

アニキと呼ばれる筒井講師はプロ野球選手のメンタルコーチもされています。

学校や企業、様々な事業団体からの依頼を受けて、全国を講演活動で飛び回っています。



セミナーを受けて、いかに左脳中心の生活をしていたか気付かされました。

ふと、今、自分はどちらの脳を使っているかを考えたりして・・・

驚いたのは、口角を上げるだけで右脳が活性化されるという現象!

皆さんもやってみて下さい

口角を上げていると脳がリラックス状態に入り、わくわくする事をイメージし易くなります。

実際に、口角を上げながら嫌な事や、苦手な人を思い浮かべてみて下さい

どうですか?

許せちゃいませんか?

まぁいいか・・・とか、もうどうでもいいや・・・とか

逆に、眉間にしわを寄せて口角を下げて、あるいは口を尖がらせた状態で、嬉しい事や、楽しい事、大好きな人の事を思い浮かべて見て下さい

如何ですか?

思わずにやけちゃいませんか?

口角を上げただけで、嫌な事は想像つかなくなるという事です。

言語を使う、論理的に組み立てる、まとめる、計算する、一生懸命になる、・・

この時、左脳全開状態です。

つまりこうしてブログを書いている時、私の脳は左脳中心ですが、ここで口角を上げ、にこにこする事で、右脳もそこそこ使っているんです。

だから今私は、めいっぱい口角を引き上げながらブログを書いています。

どうです?今、皆さん、一瞬にこっとしませんでしたか?

イメージトレーニングは右脳を使いますから、口角を上げながら書いていると、私のブログを読んで下さる皆さんのお顔が見えて来ます。

不思議ですね

右脳でイメージした事を声にして、具体的に表現すると、引き寄せの法則で現実化されてしまうんだそうです。

自分を過大評価する人を見て、"傲慢な奴!"と思うかも知れませんが、自己卑下するよりは良さそうです。

『叶う』という漢字は、口が十と書きますよね

声に出して十回言えば夢は叶うという話はよく聞きますが、脳科学の方面から見ても、理に適った内容なんですね

速読法をマスターすると、当然、集中力や学習能力もアップする訳です。

それを考えると、学校教育の現場ではまず授業時間を増やすより、子供達の右脳を鍛える時間を増やして欲しいと思います。

長文読解問題などはさぁっと読めてしまいそうです.

基礎学力も上がる事でしょう。

子供達が、みんな口角を上げ・・・と言うよりニコニコしながら先生の話を聞いたり、発言したりしたら、教室の雰囲気も変わるだろうなぁ~と思います。

当然、学級崩壊やいじめもなくなるでしょう

それぞれの夢を語り合うのも実現への第一歩です。

あっ、その前に、家の中でお母さんがにこにこしていなくちゃですね・・・

恐るべし速読法、右脳トレーニング、


セミナーの最後、私のミニライブがありましたが、右脳トレーニングをした後だったせいか

私も歌詞の中身をイメージしやすい状態になっていましたし、受講生の皆さんも、私の歌を聴きながら、それぞれ右脳分野全開で思い描く世界があったようで・・・

とても気持ちよく歌えました。

もちろん口角を上げて笑顔で歌いました。

最後は温かく大きな拍手で終了しました。

主催者さんから、黄色でコーディネートされたゴージャスな花束まで頂戴しました。

おまけに、と言いますか、有難い事にそこで受講者さんの一人からお仕事を頂きました。

これも引き寄せの法則でしょう

でも、残念ながら人間は悪い事も引き寄せてしまいますから、気を付けましょうネ!

決して”どうせ私なんか・・・”等と口にしないでください

”まだまだやれる!”

”もっと出来る!”

”私はこんなもんじゃない!”と言ってあげましょう

前向きに生きて損することはないと思います。

2011年7月3日日曜日

No4/上映会で歌いました

7月3日、飯能市民会館小ホールで『山古志1000年』というドキュメンタリー映画の上映会が開催されました。

10時半からの上映会は客席からじっくり拝見させて頂きました。

14時からの上映会終了後、スクリーンの前で弾き語りをしました。

1曲目はオリジナル曲『古志の里』、2曲目は『ひまわり』


本当に素晴らしい映画でした。

初めから泣きました。

役者ではなく、山古志で生まれ育った人々そのままが主人公で、その表情も演技ではなく・・・

涙も、笑顔も、汗も、沈黙も、全てが本物で、

しかも、4年半前に山古志村に入った時に出会った方や、見た場所、歩いた道が映画の中に出てきて、懐かしかったです。

一人で観に来た事を後悔しました。

子供達に見せてあげたかった。

日高市すべての小・中学生に見せてあげたいと感じました。

平和ボケしてしまいがちな日常生活を、立ち止まって振り返ったり、

伝統を守るとはどういう事なのか、

先祖を大切にするとはどいう事なのか、

故郷を思うとはどういう事なのか

自然と共に暮らすとはどういう事なのか

他人同士が支え合うとか、心を一つにする事の大切さ

この映画には多くの教訓が盛り込まれています。

登場する人々の表情が、決して暗くなく、

過酷な状況にあっても、めげない、負けない、諦めない、

そのたくましさと、底力に只々頭が下がりました。

この内容の濃い作品を世に送り出して下さった橋本信一監督に感謝します。

残念ながらつい先日お亡くなりになりました。

まだ50歳という若さで。

私なりに葬送歌・レクイエムを届けるつもりで歌いました。




是非、ご覧になって頂きたいです。

その際はハンカチをお忘れなく!